月曜とそれ以外で朝会の締めの挨拶を変えている話
今朝他の同僚も別のMTGでやりだしていることに気づいたため、せっかくなのであらためて書いてみる。
「定例的な取り組みはダレる」を対策したい
担当プロダクトであるLINEスキマニでは、他の企業や組織と同じようにデイリーで午前中にMTGを行っている。いわゆる「朝会」と呼ばれるタイプの取り組みとなる。
事前にある程度議題を用意する場所があり、そこに書かれた内容に沿って進行しつつも、書きそびれた議題などもカジュアルに話せる場になっている。「デイリーで顔を合わせる機会」というのは、チャットで書くにはライトすぎて逆に書きづらい内容や「この流れでついでに〜」共有しておきたいタイプの事柄を話しやすく、存在意義は多分にあると実感できる。
一方でこうした取り組みは得てして「やること」がゴールへと変遷していきがち無価値になりがちであるため、そうならないように常に細心の注意を払っている。
その一つとして我々が取り組んでいる代表的なものとして「議題がなくなればその時点で終了」が存在する。ファシリテーションが苦手な人や「会議は時間の限り議題を話し尽くすべき」という考えを持つ人は今でも一定数存在するが、我々は「話すべきことが早く終わればそれは良いことであり、終わったら早々に切り上げる」ということを大前提としている。
そのため議論の余地が多分にある議題が提示された場合は15分(あるいはMTG枠によっては30分)程度結論が出るまで話すこともあれば、朝会自体が1分で終わることも珍しくない。話すべきことがあれば話し、なければ解散するという形だ。
特に業務の中で迅速な意思決定が必要な場合は朝会まで持ち越さずともチャットやその時点でMTGを行って解決することも多いため、1分で終わるケースのほうが多いとも言える。これによって「朝会がダレて長引く」問題は解決できており、手段を手段として活用できていて望ましいと感じる。
一方で早く終わりすぎることによって「朝会は入ってきて定型句が流れて終わる場」という認知が生まれかねない。日々同じ話が流れ、日々同じコミュニケーションが行われ、日々同じ締めが繰り返される。それだけだとあまりにも味気がなく、場への期待値が下がる可能性がある。
すでに十分に最適化されたコミュニケーションの場が形成されているが、それ故に生まれ得る可能性を持った「マンネリ」の意識は排除しておきたい。
挨拶を変える
結論として、同じ音声が流れないこともある程度重要だと考え、冒頭と締めの挨拶を少し変えるようにした。といってもやっていることは単純で「今日」を「今週」へと置き換えるだけだ。具体的には、締めで「今日も一日よろしくお願いします」というのであれば「今週もよろしくお願いします」といった具合となる。
これであれば確実にその場で話される内容の中で微かながらも変化が起きることになる。
もちろんアイスブレイクの雑談などで会話に彩りを与えることは可能かもしない。が、我々のプロダクトはプロダクト内の担当にとってスケジュールにバラつきが出やすく、朝会後の猶予時間もまちまちであるため雑談入りで重要な議論がしきれないことは避けたい。そのため、多くの場合雑談は「誰かがZoomに入ってくるのが遅い場合、待っている間にする」という流れになっている。
そんな中、冒頭と締めは常に変わらず存在する。そこのMTGがある限りは消えることのない概念であり、かつ十分に聞き飽きたものでもある。そこに個人のこだわりは存在せず、その発話が合図であり、これはある種のプロトコルでしかない。だがプロトコルとして済ませるにはあまりにも毎日起きることでもあるうえ、それで消化させるのはもったいない。
あくまでも「議題がある場合に議題を賢く消化する場所」という本分を残したままテコ入れできるのが、ここであったということである。
結果について
もう1年以上この形式を取って「微かな変化」を生み出していたが、今朝の別のMTGの締めで、初めて他の人による「今週もよろしくお願いします」という言葉を明確に聞くことができた。
この取り組み自体がどの程度の意味を持っているかを測ることはできず、言ってしまえばこれまではただの個人の自己満足の可能性があった。しかし、今日からは少なくとも彼にとっては有意義だと感じられる一言だったと感じて過ごすことができる。
What を重要視し How への固執を取り払う意識が非常に強いチームを形成できており、そのことを誇らしく思っている。が、その一方で繊細さも引き続き失わずにしていきたい。傍から見ると合理だけで繋がっているように見られる僕らであっても、それを支えているのは日々の繊細なコミュニケーションの積み重ねかもしれないのだから。